樹ガーデンで読書をしたら、ハイキングコースをたどってみたいと思います。
樹ガーデン ( お店 ) と併設している建物 ( ご主人の家 ) の脇から、
ハイキングコースへと階段が続いていて、尾根の方に上がれるようになっています。
葛原岡・大仏ハイキングコースは、高徳院大仏と北鎌倉をつなぐ山道です。
これが全体図 ⤵
私が歩いたのはこの部分 ⤵
ハイキングコースに、喫茶店の看板があるなんて、ここだけかも知れない。
かなり目立ちます。
木の根っこに躓かないように気をつけながら歩きます。
木々の合間から、遠くに逗子マリーナが見える。
葛原岡ハイキングコースは、鎌倉の他のハイキングコースや切通しに比べて歩きやすいです。
道幅が広くて、明るいから。
縦一列じゃなくて、手つないで歩ける場所が多いです。
なかなか平坦でしょう?
看板も、しっかりあるので、迷うことはまずない。
坊やを連れたお母さんがいました。
お母さんの手を借りずに一人で登っています。
がんばれっ!
私はあっちにフラフラ、こっちにフラフラしながらゆっくり進む。
坊やたちに追いつきました。
「にゃんこ いたね。」
ここまで車で来られるんだ。
窓からの眺め、良さそう。
道から見ても、ほら、これだもの。
坊や、もの凄い健脚です。
ウッドデッキ、いいなぁ。山側の景色 眺められるんだ。
私は、あの坊やにずっと負けてる。
こんな下り坂でも転ばない、たたらも踏まずにトコトコトコトコ走るように歩くなんて、
あの子、凄すぎる。
葛原岡神社に、とうちゃ~く。
【葛原岡神社について】
この神社の祭神は、日野俊基です。
俊基は後醍醐天皇の忠臣で、2度に渡り鎌倉幕府を倒す計画を立てましたが、謀議が幕府にもれて捕まりました。1度目は放免されますが、2度目の時にこの地で処刑されたそうです。
俊基は「秋を待たで葛原岡に消える身の露のうらみや世に残るらん」という辞世の歌を残しています。
素朴な疑問
どうして反対勢力である日野俊基を祀る神社が、鎌倉に建立されたのかと不思議に思っていましたら、葛原岡神社のホームページの『御由緒』にこんな記述がありました。
この神社が創建されたのは明治20年だそうで、
「明治天皇が俊基の足跡を明治維新の先駆けとして深く追慕せられ、明治17年勅旨をもって従三位を追贈され、同20年にご最後の地であるここ葛原岡に俊基卿を御祭神として神社を創建、宮内省よりの下賜金をもって御社殿を造宮、鎮座祭が執り行なわれました。」
とのこと。
「うらみや世に残るらん」という辞世の句を残した俊基ですが、今では、鎌倉由比ヶ浜の総鎮守となってくれているようです。
【源氏山公園】
葛原岡神社すぐ近くに、源頼朝の鎌倉入りを記念して造られたという源氏山公園があります。
俊基が倒幕計画を立てた頃と、頼朝が鎌倉入りをした頃とでは140年もの時の隔たりがあります。
しかし、それにしても。
鎌倉幕府を築いた頼朝の公園と、倒幕を画策して処刑された日野俊基を祀る神社が、
隣り合わせというのは、なんとも不思議。
宮司さんが、坊やに「黒猫があそこにいるよ」と教えてあげてます。
この場所にいる猫たちの中で、一番大人しく、子どもが触っても大丈夫な猫なんだとか。
カリカリを持っていたので、お母さんに許可を得て坊やに手渡しました。
興奮した坊やは、黒猫の頭からカリカリを・・・撒いてます ww
※ 坊やと猫の2ショットは割愛しました。
こんな所に亀・・・
境内に『魔去る石』というのがあって、かわらけを売っています。
朝夷奈切通しで、いろいろちょっと、くっつけてきてしまったようなので、お払いさせて貰います。
社務所前に設置されたテーブルの上に、無患子(むくろじ)と書かれたお守りがありました。
このお守りは、神社の境内で採れた『むくろじ』の実で作られたものだそうです。
坊やとお母さんと私が、興味深そうに覗き込んでいたら、さっきの宮司さんがいらっしゃいました。
「どこかで見たことないですか?
この実、羽根をつけて羽子板遊びに使う、あの黒い実なんですよ。
むくろじの実ってね、とても硬くて良い音がするよね、こ~んこ~んって。
「残念なことに、今年はむくろじの実がひとつも採れなかったのよ。
ここにあるのは去年の実。
普通のお守りは毎年返納しないといけないけど、このお守りは返納する必要はないんですよ。
むくろじの外皮はね、洗剤(石鹸)としても使えるんですよ。」
興味深いお話しを沢山聞きました。
ふんふん。なるほど。へ~え。そうなんですか。
丁寧に教えてくださる宮司さんに、うなづく3人でした。