披露山公園から西側のなだらかな階段を降りると、披露山御殿です。
御殿というのは私が勝手に言っているだけ。
正式には『披露山庭園住宅団地』と言うそうです。
階段を降りてしまうのが勿体ない、足が止めてしまうほどの美しい眺め。
そんな人のために、ベンチ。。。
実は、この場所のことをずっと “ヒロウヤマ” と思っていましたが、
今回 “ヒロヤマ” だと知りました。
海に張り出す山に造成された宅地ですが、家から海が見えるエリアは意外に少ない。
こんな風にチラリズム ww
【披露山庭園住宅について】
披露山庭園住宅は、昭和43年 (1968 ) 、㈱TBS興産によって逗子市小坪の標高約80mの小坪山で造成が始まり、昭和46年 ( 1971 ) から分譲が開始。第一期の披露山庭園住宅南側は、1区画300坪、色々な建築協定附きで販売されました。
当時の規定はそれはそれは厳しくて、垣根を作っちゃいけないとか、建物の高さにも制限があった。
現在も新しく家を建てる際は、住民に説明会をしなくちゃいけないっていうんだから大変だ。
そのくらいしないと、こんな街並みは維持できないのかも知れないから、仕方ないんだろうが ww
ここの建築協定で厳しいのが、建ぺい率。
通常の都市計画では30%~80%の範囲て制限されている。
商業地なんかは80%、住宅地だと60%だったりというのが平均的です。
ところがここは、20%なんですと!
300坪の敷地の8割、240坪は庭じゃなきゃいけないというんだから凄い。
名称に《庭園》という文字が入っているだけのことはある。
人工物による塀を建てる事にも制限があるらしい。
不連続な生垣や低木によって、ようやく境界が判別できる程度の設えになっているから、ゴージャスな感じなんですな。
あれ、この家は柵がある。
立地条件とか防犯の問題とか、ちゃんとした理由があって、
説明会で容認されているんでしょうね。
披露山御殿の写真を撮った時、すっきり綺麗に見える理由は電線がないから。
造成の時に、電線など全てを地下に埋設したんだそうです。
よくここを《日本のビバリーヒルズ》と言われたりするけれど、
人気のひとつはセキュリティーなのかも知れません。
今はセコムをはじめ、沢山の警備会社があるけれど、ここのセキュリティーは40年前から凄かった。
披露山庭園住宅団地全体がひとつの私有地になっていて、入口の管理棟で、部外者車両をチェックしてます。
実は40年前、母と弟と来たことがあるんです。披露山公園に来たついでに偶然見つけたて、ゲートの監視員さんに母がニッコリしたらスルーされたのね。
入れてくれたんだもの、いいんだろうと思って、ウロウロ走り回ってたら、警備の車両がやってきて、「どちらのお宅に行かれるんでしょうか」って。自衛団だから逮捕とかはできないよ、けど、やんわり丁寧に退去を促されました。
母も私も弟も、メチャクチャ物件マニアです。
3人して、あんぐり口開け馬鹿面してただろうし、傍目ですぐ部外者と見当ついたことでしょう。
当時と違い現在では、もう1つ入口が出来たみたいだけど、至るところに監視カメラがあります。
じゃ、部外者は絶対入れないかといえば、そうではない。
何故なら、大崎公園に行くにはどうしても敷地を通らないとならないから。
披露山公園と大崎公園を結ぶルートとして歩く人のみどうぞって感じかな。
だけど挙動不審だったら、やっぱり警備員、飛んでくるんだろうなぁ www
開発されてから42年も経てば、世代交代とかもありますし、手放す人もいるでしょう。
でも300坪ですから、バブル崩壊の頃は、売りたくても買い手がつかず大変だったそうです。
今でも、かなりダンピングした市場に出ていたりする、複雑ですね。
ゴージャスな空間だけど、一番近いバス停まで15分はある。
しかも坂をぐぐっと下った所。
コンビニもないし、生活をするのに便利とはいえません。
車とお手伝いの人がいなかったら絶対に無理な環境です。
分譲されたて全ての土地が売れたわけではありません。
売れ残ったままの手付かずの敷地も多かった。
バブル崩壊後は300坪ではなく小さい区画に分割して売買されたので、
敷地内を見回ると、古くからの居住者の家と、新興購入者の家がすぐわかります。
まあ、そんなこと考えながらウロウロしていたら、40年ぶりの御用となりそうなので、この辺で。
キチンと前を向いて、セッセセッセと大崎公園に向かいましょう。