豊橋 まだまだ歩く~ハリストス正教会

安久美神戸神明社のすぐ近くに、美しい教会があった。

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おやおや?

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どんな茂みに隠れている子も、見逃さないの私。

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そんなに睨まないで、何もしないから。

豊橋に来て初めて会った猫さんなんだから。

そうなのこの花壇がチミの特等席なのね、わかったよ邪魔しない。

 

 

それにしてもここは居心地がいい。

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豊橋ハリストス正教会 聖使徒福音者 馬太 ( マトフェイ ) 聖堂


この聖堂は、豊橋ハリストス正教昇天教会が大正2年に建築したものです。


西を正面とし、吹き出しのポーチをおき、続く玄関はその上に八角形の鐘塔をのせ、階段室を兼ねています。東西方向を軸線として、ポーチに続いて玄関、啓蒙所、聖所の三つの部屋を、規模を拡大させながら東に向かって一列に配置しており、聖堂の東端に至聖所を配置する形式となっています。さらに、聖所の南北にもポーチが配置されています。


設計者は河村伊蔵 ( 知多郡内海村出身 ) で、聖堂建築のため地元の大工は、京都まで赴き京都正教会を手本にして西洋風のドームを建築したといわれています。


この聖堂は装飾の少ない簡素な建築ですが、保存状態は良好で、明治大正期の木造形式による代表的なハリストス正教会聖堂として高い評価を受けています。

豊橋市教育委員会『立看板』より

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やるわね、大工さん。

 

ちなみに、設計者の河村伊蔵さんは、息子さんもお孫さんも建築家だそうだ。

孫のガウリイル内井昭蔵さんは、世田谷美術館、浦添市美術館、皇居・吹上御苑の新御所を作ったとのこと。

私が生まれ育った世田谷の、あの美術館を建てたのがガウリイルさんだとは。

縁を感じます、勝手に遠い縁ですけれど。

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豊橋まだ歩く~安久美神戸神明社

豊橋公会堂の近くに安久美神戸神明社という神社があると聞き、立ち寄った。

こちらのお祭は、何でも鬼とたん切飴を使う奇祭なんだとか。

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『厄除 鬼まつり』のことだろう。

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2月10日、11日と書いてある。



国道一号線沿いの大鳥居をくぐり、

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小さな通りを渡ると、もうひとつ鳥居がある。

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清々しい空気が流れている。

左側に社務所があるけれど、たん切飴はいつも売っているわけじゃないのか。

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右手に、

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あっ、

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鬼がいる。

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綺麗な手水舎。水がコンコンと湧き出している。

私の地元の神社は、にゃんこが沢山いるので、水盤の上に網がかけてあって、

手をすすぐのに、木のフタを開けないといけない。

 

こんな風に綺麗に使われてるは凄い。

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ご本殿は、神明造。

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鰹木が立派だ。

 

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安久美神戸神明社あくみかんべしんめいしゃは、天慶3年 (940) の創建です。

「平将門の乱」鎮定を祈願した朝廷が、伊勢神宮へのお礼として三河国 飽海郷を神領として寄進しました。これを飽海新神戸といい、この時に当社が創建されたと伝えられています。この神領の安泰と繁栄を祈願して始まったのが鬼踊りの起源です。


神事は多岐にわたりますが、主なものは神楽・田楽・御的みまと神事・お玉引たまびき の年占・御神幸の5つで、有名な赤鬼と天狗のからかいは田楽のうちの一部です。鬼祭神事は、江戸時代初期に従来の田楽中心の農村的祭礼からにぎやかな、からかい中心の都市的祭礼に変化していったと考えられたが、田楽の一種が豊年を祈る特殊神事として古式を崩さずに継承され、さらに神楽と田楽の混融の度合いが著しいところに特徴があります。

 

神楽の中に日の出神楽・天狗の神楽・笹良児ささらこ神楽・神幸神楽、田楽には赤鬼と天狗のからかい・司天師田楽・ポンテンザラの田楽などがあります。

 

鬼祭神事は毎年2月10・11日の両日にわたって奉納されます。

豊橋市教育委員会『立看板』より

 

一度では理解できないが、祭の流れをよく勉強してから再訪してみたい。

クライマックスのたん切飴の白粉で、町中白粉まみれになるらしい。

ああ、見てみたいなあ。

 

豊橋を歩く~豊橋市公会堂

豊橋公園を出て、もう少し歩こうと思う。

だってまだ 7時20分だもの。

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これはお巡りさんが立っている「見張所」でしょうか。

お城でしょう? いつの時代に、誰が立ち番してたのか。

 

公園を出たところにある公会堂は、町のシンボル的建築物。

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まだ朝なので、人通りは少ない。

 

 

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ここに建つ2羽の鷲は、昭和6年公会堂建設当時のもので、ずっと豊橋の街を見守り続けてきました。

鷲たちの翼を広げる雄々しいその姿を公会堂のシンボルとして残していくものであります。

平成14年2月

 

どなたの作品だろう。

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あそこにも鷲が・・

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あそこ

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立派な建物だ。

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追記 ) 

豊橋公会堂のことを調べたところ、中村與資平さんの設計だった。

浜松市 中村與資平   作品年表

中村さんの作品年表によると、1930年 ( 昭和5 ) 50歳の時の作品だったようだ。

建物の脇の立て看板には「昭和6年公会堂建設」と書かれているが、どちらが正しいのだろうか。

www.pref.aichi.jp